流行とは無縁に存在している「桝形商店街」の存在が清々しい。八百屋は野菜だけを商い、魚屋は魚だけを売る。そんな当たり前の商いをしている商店街は、いかに京都といえども日々減り続けている。今風のスーパーもあるし、一〇〇円ショップもある。だけどここにはコンビニも携帯電話ショップもファストフード店もない。乾物屋、魚屋、パン屋、八百屋、花屋、薬局、食堂、うどん屋と、それぞれが専門分野をきちんと守り、誇りを持っ
流行とは無縁の清々しさ... の続きを読む
近頃は男性誌のみならず、女性誌までもが憧れをもって「祇園」を書く、語るというのは、はたしてどうなのだろう、と勘ぐってしまうのだ。祇園で誰がどう遊ぼうと勝手だし、マニュアルがないと何も出来ない男が増えていることも充分承知している。「妻」という地位に安住出来ない女性にとって、颯爽とした姿で男性を翻弄しつつ一人で生きる強い女性のお手本として、祇園の女に憧れるのもわからなくはない。だが、どう考えても腑に落
どう考えても腑に落ちない... の続きを読む
ちょっとハード系の古道の話になってしまったので、よりスロー系の「旧き良き道」に再びハンドルを向けよう。なにも、この名にしおう古道を俺は走り抜いたんだぜ、と自慢できるものでなくたっていい。そう思えば、古の名残を残す道は、それこそ無限と言っていいほど、あなたの周りにある。あなたの暮らす街にもある。市街から郊外へと向かう道にも、おそらく開発を生き延びた古いルートがひとつかふたつ残っているものだ。最近は自
ガイドにない古道を探す... の続きを読む
砂洲は海面と湖面から10mほどの標高があり、なだらかな丘のように続いていた。まるでそれはオホーツク海とサロマ湖の間に続く異界のような領域、この世のものとは思えぬ夢幻な空間だった。道の脇の木の柵の向こうには、北の花々の園が広がり、オホーツクの潮騒が風に乗って辺りを渡っていった。もしかしたら、私たち2人はすでに現世の人間ではなく、ひょっとしてたった今臨死体験をしているのではないかと思えるくらいの一刻だ
ネバーランド的な色彩を帯びた世界... の続きを読む
多くを頭脳に取り入れるのではなく、ひとつを強く魂に刻み込むメディアとして、自転車は最高の歴史メディアのひとつだと思う。それは、身体の介在なしには機能することのない、とてもスローなメディアだ。静岡県の伊豆半島北部を流れる狩野川沿いに、韮山(現在は伊豆の国市)というところがあり、三島から伊豆箱根鉄道が通じていて、首都圏から新幹線を使えば約1時間半でいける。韮山は、源頼朝が流された地であるとともに、源氏
自転車で五感と身体を開放し、時の扉を開く... の続きを読む